吾唯知足

令和2年師走12日 大安

うつはには したがひながら いはがねも とほすは水の ちからなりけり

はじめに

冷蔵庫の必要性に疑問を感じ始めた。 去年の暮れあたりから発酵食品に凝り始め、 冷蔵庫の中が少しずつ空いてきた。 また、同じく去年の暮れ頃、体の冷えがあまりにひどくて 卒業研究に集中できない状態だった。今年に入り春から夏にかけて 気温が上がっていく中でも、体が冷えていることに 変わりはなかった。

冷蔵庫の必要性を感じなくなり、冷蔵庫で冷やされたものが 体に良くないのではないかと考えるにいたり、 とうとう冷蔵庫の電源を落とした。 以降何不自由なく暮らせている。

一度使わなくなると、そもそもなぜこのようなものが当たり前のように 普及しているのか疑問に思ったのでいろいろ考えてみた。

発酵食品へ

去年の空き、引越しに伴い生活費がカツカツになり、それまで特に 考えずにいた家計について少しばかり見直そうと思い立った。 そして節約の一環として外食を一切やめ、全ての食事を 自炊に頼るようにした。 先に書いたようにまずはお金がなかったので、近くの青果市場で 見切り品として売られていた30円の野菜ばかり買っていたが、 一月ほど節約すれば余裕が出てきてすこし贅沢をするようになった。 と行っても外食ではなくあくまで自炊である。 出町柳の乾物屋に行って鰹節を求め昆布を買い、味噌汁用の出汁 をきちんと取るようになった。 どうでもいいが味噌汁用に鰹節を買いに行くと決まって鯖節を 進められるので、求めたのは鰹だが実際に使っていたのは ほぼ鯖であった。また、いつも話し方に癖のある主人が 対応してくれるが、ある時おばあさんが店に出ていた。 独特の話し方が主人と全く同じだったのには驚いた。 味噌汁に入れる豆腐を豆腐屋で仕入れるようになったのもこの頃である。 豆腐屋の人はなぜか皆遠藤征四郎師範のような腕をしている。

自分で出汁を引いて作った味噌汁はうまい。そこに浮かんでいるのが 豆腐屋の豆腐なのでなおさらである。 自分の舌が肥えていくのがわかった。

そんなある日、スーパーで見かけた浅漬を買って食べた。 漬物は昔から好物だったが、金がないのもあり見ないふりをしていたが、 なんの気なしに手にとって買い物かごに放り込んでみたのである。 ところがこれがいまいちだった。一口含んだときはまあそれなりに 美味しい気はするが、しかしなんというか、奥行きがないという感じ なのだ。それ以来スーパーの漬物は買わなくなってしまった。

しかし漬物は食べたい。 結局その頃通っていた近くの米屋で糠をもらってきて 自分で漬けることにした。 その際にいろいろ調べたが、どうやらスーパーで売っている漬物 はどれも発酵していないようなのだ。 人工的にうま味を添加した液体に野菜を浸しただけのものらしい。 奥行きがないわけである。

糠漬けに始まり、烏賊の塩辛、キムチ、バター、パンの酵母、 梅干し、熟れ鮓等発酵食品はいろいろ作った。厳密には塩辛と梅干しは 発酵していないのだが。

そんなある時ザワークラウトを漬けた。 このときは漬物が食べたいからというより、単にキャベツを保存する ためである。 一人暮らしだと、冷蔵庫があってもキャベツひと玉は傷んでしまうのだ。

冷蔵庫でも痛むので塩漬けにする。

だったら冷蔵庫要らんのでは?

冷蔵庫を手放そうと思い始めたきっかけである。

身体の冷え

去年の冬、身体があまりにもだるかった。 何もできない。お腹も痛い。 地元の漢方薬局を樹脂下が、渡されたのは冷えに効く 薬ばかりだった。 中には重度の冷え性の女性が生理中に身体を温めるための ものも入っていたw。 この頃はとにかく身体がだるいだけで、 自分では冷えているのかどうかよくわかっていなかった。 ところが漢方薬局の先生に不調を訴えると、 ことごとく冷えが原因だと言われた。 頭痛も腹痛も倦怠感も、全て冷えだと。 そんな状態で真冬を迎えた。確かに寒い。身体がキンキンに 冷えているのがわかるようになった。 ふくらはぎはずっとむくんでいるし、 末端は冷たいし、周りが普通にしている部屋で一人だけ 凍えていた。 この頃から身体の言うことをもっと聞いてあげないと 何もできないことがわかった。

以来身体の状態はできるだけ観察するようにしている。 そして気づいたのだが、自分の身体がずっと冷やされているのだ。 春が過ぎ暖かくなっても、至るところで冷房画家明かり 冷たい飲み物を出される。 まるで汗をかくことが悪であるかのような世界である。

この気付きにより、今年の夏は冷たいものは摂取しないようにしている。 というよりあまり欲しいとも思わないのだ。 喉が乾いても常温のもので満足なのだ (と言っているそばから実家の冷蔵庫にあったハーゲンダッツを 食べてしまった)。

冷蔵庫の電源を落とす

身体の冷えに気づき、発酵食品にのめり込み、 冷蔵庫の必要性に疑問を持ち始めたある時、 とうとう冷蔵庫の中が空っぽになってしまった。 ものは試しと早速電源を落としてみた。 余った食材はぬか床に入れるか、あるいは 塩漬けにしておけば腐る心配はない。

横浜に越してきてからは週末に一週間分の野菜を 鎌倉の即売所で仕入れ、冷蔵庫に入れていた。 冷蔵庫の電源を落としてからは余った野菜は すべて乳酸菌の力で酸っぱくして保存していた。 流石に酸味に空きてきた頃、梅干し用に買ってきたザルが 梅を干し終えて暇そうにしているのを見つけた。 干し野菜はうま味が凝縮されて美味しいというので 試しに余ったものを干してみた。 きゅうり、大根等水分が多いものは薄く切ってそのまま並べる。 かぼちゃやじゃがいも等は一度蒸してから干す。 生のまま干したものは味が濃くなり食感もコリコリと面白くなる。 一方蒸したものは甘みが強くなり、ねっとりとしてこれもまたうまい。 一度この味を知ると、どうして今まで冷蔵庫に入れて味が劣化するのを 気にも止めなかったのかと悔やまれる。

魚はその日のうちに使う文以外は塩水につけて干しておくか、 米と合わせてあせの葉や柿の葉で包んでおけば熟れ鮓になる。 まだ作ったことはないが、みりん干しなんかもやってみたいものだ。

豆腐は水切りをして何かしら塩分の濃いもので包んでおけば 大丈夫そうだ。 味噌、糠、塩。どれにつけても美味しい。塩漬けはチーズのような 芳醇な感じになることを期待していたがそれもない。 水道水をそのまま使ったのがまずかったか。 まあ保存はできているのでいいのだけれど。

肉は最近食べていないのでわからないが、魚と同じだろう。 中国には確か肉の熟れ鮓もあったような。 燻製なんかも興味がある。

冷蔵庫を使わなくなり一週間経つが、何一つ不便なことはない。 冷蔵庫の下が掃除できないので早くいなくなってほしいくらいだ。

なぜ冷蔵庫がうちにあるのか。

改めて冷蔵庫というものを見直してみると、どうしてこんなものが 台所の一角に鎮座しているのかわからなくなってきた。 大学に進学し一人暮らしを始めるに当たり、 なんの疑問もなく買ったのだ。 電子レンジや洗濯機も同じである。 テレビはNHKが鬱陶しいので買わなかったが。 冷蔵庫は家に必要なものであるという常識のもとに生まれ、 冷蔵庫を当たり前のように使いながら育った。 一人暮らしをするというと、どこに行っても冷蔵庫を買うのが 当たり前かのように話が進み、とうとう自分でも買うに至ったと 言うわけである。まあ冷蔵庫を買うのは当たり前なのだろうが。

つまり冷蔵庫がうちにあるのは世の中の常識を そのまま自分の家に取り込んだ結果なのだ。

冷蔵庫という常識

ではなぜ冷蔵庫を持つのが常識なのか。 簡単である。 マーケティングの結果だろう。

今までの生活が不便だという認識を植え付け、 その不便を解消するという謳い文句で新しい常識を売る。 世の中に出回っている便利な道具は大方同じであろう。

豊かさとは

豊かな食生活のためといって舶来の料理をはやらせ 食物油を売り、頑固な油汚れが落ちるからと言って 強力な洗剤を売り、荒れた手が潤うからと言って ハンドクリームを売る。

忙しいからと便利な家電を売り、 その一方で暇を潰すためのエンターテインメントに 金を払わせる。

暑いからといいエアコンを売って快適な環境を整え、 汗をかくためにサウナに金を使わせる。

きついからと言い肉体労働を敬遠し、 楽をするために自動車を買い、 その一方で運動不足になりジムに通う。

どれもこれもテレビや新聞等のメディアに作られた豊かさ ではないだろうか。

常識や流行にとらわれず、豊かな生き方とはなんなのか、 本当に必要なものはなにか、自分自身に問いただす。 一度すべての常識を捨て、自分にとって本質的なものを ゼロから構築する。 人生を本当の意味で豊かにしてくれる物だけがすべて揃った そんな家に僕は住みたい。